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Shoggi生活

日常生活、音楽について、気が向いたときに綴っております。 HPはこちら http://nakanokazuko.yukimizake.net/index.html 以前のBlogはこちら http://plaza.rakuten.co.jp/lunarestimme5/

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小林道夫の音楽の凄さ


今日はまじめな話。
いろんなところに出て行って、
いろんなところで歌わせてもらって

いろんな団体に混じって、
いろいろけなされて、
いろいろ褒めら
れて、
いろいろやり返して、
いろいろ試して、
また小林先生のとこ
ろに戻ってきて思ったこと。

こんなすごい人が日本にいるのに、
なんでわたしゃあわざわざ外
国まで出て行って、
役に立つことからくっだらないことまで勉強し
たんだろう?
音楽なんちゃ分かってないのに、えばってる指揮者のなんと多いこと!
最終的に音楽とは人柄とお互いをどれだけ信じられるかなんだよなぁ。
それを忘れて、ああでもないこうでもないと、
音をいじくりまわし
て楽しんでいる私と、
そんな人たちにたまにはついていこうとして
いた私が情けない。

これだけの人材が集まっているんですから、
みんなで合わせる必要
なんてないんですよ。
一人一人がそれぞれの音楽をすればいいんで
す。
たまにはぐちゃぐちゃになってもいいんです。
そのほうが面白


と言われて、うわぁ~先生うちらのこと信じきってるわ。。。
と、
身の引き締まる思いでその後歌いました。
先生は音楽を知って
いるわけではなく、
人間と言うものの習性をよくご存知なのかもし
れない。
そしてその人間が作り出した音楽を後から生まれた人間を
通して
再生しようとしているのかもしれない。

フルトヴェングラーはこう言っていたそうです。
「音楽は学校でもないし、技倆でもない、
ましてや知識であるはずもなく、楽器の熟練でもない!
音楽への到達はその人の生きることへの真摯さでしかあり得ない。」


ルドルフ・ゼルキンはこう言っていたそうです。
「私には正直言ってモーツァルトとショパンに違いがあるとは思えないのです。
真に感動的である演奏以外のものすべては、
音楽として欠如あるとしか言いようがないのです。」

なんてことを考えていたら、
昔はどう演奏されていたのかとか、
リルはここにつけなきゃいけないとか、
音程が幅広いとか、リズム
が柔軟すぎるとか、
声が柔らかすぎるとか、硬すぎるとか、
音色が
明るすぎるとか、暗すぎるとか、
隣の声が気に入らないとか、心を
込めて演奏をしないといけないとか、
そんなのはもうどうでもよく
なって、
もっと別の次元のなにかが動き出すような、気がしました

それはもしかしたら、自分でも分析しきれない、
自分の中にある
「思い」と言うものかもしれません。

自分を信じるだけじゃ、エゴになり、
相手を信じるだけじゃ、依存的になる。

そ こには双方を信じて受け入れる力と受け取れるだけのキャパシティが存在し、
それを実現出来る、先輩方や後輩たちあるいは仲間がいて、
最終的には愛のみが存在する。
この全てが揃った時に音楽が何十倍にもなって溢れ出すんではないかと思うんです。
こんな人たちと音楽ができる私はきっと幸せなんだと思います。


次 に私が出さなければならない音色、タイミング、音量が必然的に分かってくる。
そんな音を受け取りやすく投げてくださる仲間たちは本当に素晴らしい!
音楽と はすなわちハーモニー、和、ということで、
誰かがそこから一人でもはみ出した瞬間に
脆くも崩れ去ってしまう恐ろしいものでもあるような気がします。

今なんでか、涙が止まらない。


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